急かされるように宿屋へ戻ると、宿屋の前には想像以上に人だかりができていた。
誰しもが足を止めて、幾重にも重なった人垣の隙間から中を覗きこもうとしている。
「こりゃすげえ人だな」
「ああ・・・・・なかなか抜けるの大変だな」
「よっしゃ!俺が道を作ってやるぜ!」
「怪我人は出すなよ」
と忠告するよりも先に、「おらおら!退きやがれ!」とマルティンがその巨体と勢いで人だかりに突っ込んでいく。
やれやれと諦めて付いて行き、ようやく輪の中心に出ることができたが、開けた視界に飛び込んできた光景に、くらくらと目眩に襲われた。
それは、先に飛び出していたマルティンも同じだったらしい。
「おいおい、マジかよ!」
突っ立ったまま呆気にとられて口をあんぐりと開けていた。
宿屋の入口を塞ぐように箱形の馬車が停められていた。
華美を好まないリヒテラン王国らしく、車体は黒一色のみで塗られていたが、まるで鏡のように磨き上げられていた。
車体の黒とは対照的に、窓枠や前後の車輪は、黄金で彩られており、特に目を引いたのは、扉に大きく象られた黄金の紋章だった。
双頭の竜と2本の剣が重なった威厳を放つその紋様は、間違いなくリヒテラン王国の王家の紋章だ。
王族あるいは限られた賓客のみが利用するという王家専用車で、つまりこの馬車は、リヒテラン王国国王から直々に招待をされているという証でもある。
街中でまず見かけることのない王族専用馬車が市井の宿屋の前に停められているのだから、異様な光景に人々が群がるのも当然だろう。
そんな王族専用馬車とともに10頭ほどの立派な馬が並び、さらに宿屋の入口を塞ぐように二人のリヒテラン王国騎士が立っているために、一層その異様さが増している。
今まで訪れてきた各地でもセヴェリーニは賓客扱いを受けてきたが、フェレイドが同行するようになってからは、国王から招待を受けるのは初めてだ。
フェレイドたちに気づいた騎士が入口に立ちはだかるが、宿屋の男が恐る恐る近づくと、顔を覚えていたのだろう、騎士たちは互いに見合い、スッと道を開けた。
フェレイドも軽く頭を下げて騎士の横を通ったが、付いてきたマルティンは「よっ。ご苦労さん」と軽く手を挙げて騎士に声をかける。
当然ながらそれは無視されることになり、マルティンは「なんだなんだ。愛想ねぇな」と眉をひそめて文句を言う。
「彼らは騎士で任務中なんだから、相手するわけないだろ」
「それにしたってよお、騎士ってのは四角四面でクソ真面目な連中だよなあ。俺にはやっぱり無理無理」
まだ文句を言い続けるマルティンに呆れて肩を竦める。
「確かに、おまえには騎士なんて似合わないよな。第一、おまえは『気品』なんて言葉とは真逆だからな」
「なんだってえ!?俺だって良い服を着たら少しはまともに・・・・・おわっ!」
マルティンに胸倉を掴まれそうになるが、宿屋に足を踏み入れるのと同時に、大勢の従業員たちに囲まれてしまい、さすがのマルティンも勢いを削がれてしまった。
「ヴァレンさん、お帰りなさい!」
「待ってましたよー!」
「ヴァレンさん、もう、限界ですよー!」
「助けてください!」
フェレイドを呼びに来た宿屋の男の名はヴァレンというらしい。
半泣き状態ですがりついてくる従業員たちを「まあまあ」と宥めているこの男は、もしかしたら宿屋の主人なのかもしれない。
「お客さんを連れてきたから、もう大丈夫だよ」
従業員だけでなく、宿屋から出られずに足止めされた宿泊客も含め、全員の視線が一斉にフェレイドに突き刺さった。
救いを求めるような視線、騒動の原因の一端に対する苛立ちのような、恨めしげな視線だったりと、様々な感情がフェレイドを串刺しにして、なんとも気まずい気分になった。
「さあさあ、おまえたち離れて。お客さん、あちらで特使がお待ちです」
「ああ、わかった」
男に誘導されて食堂へと向かえば、その入口前にも漆黒の騎士服を着たリヒテラン王国騎士が立ちはだかっていた。
「えっと・・・・・・失礼しますよ」
背中を丸めるようにして男が近づくと無言で騎士たちは横に避けるが、剣を差したフェレイドに鋭い視線を注いでおり、不穏な動きをすれば、腰に提げた剣をいつでも抜くつもりでいるのだろう。
当然のように後をついてきたマルティンは、またもやへらへらと笑いながら騎士たちに軽く手を振る。
「おまえ、ついて来る気か?」
「あったりまえよ!こんな面白いことから俺を除け者にする気か?」
「面白いって・・・・・・」
「お、お待たせいたしました!特使殿!け、剣士殿を、お、お連れ、いたしました!」
マルティンをぎろりと睨みつけたフェレイドだったが、強張る男の声にすぐに意識を前に戻した。
20くらいはあるだろうか、丸いテーブルが整然と並んだ宿屋の食堂は、普段は大勢の客で賑やかだろうに、今は誰一人客がおらず、沈黙が広がるだけだ。
食堂の中央のテーブルに、この宿では一番品の良いだろう肘掛がある椅子が置かれ、50代前半くらいの壮年の男性が座っていた。
金糸の刺繍をふんだんにあしらった白の上着、レースがほどこされた襟元のスカーフには、大粒の緋色の宝石が輝くピンが留められている。
身にまとう全てが質が良い高級品で、明らかに高位の貴族であることを示しており、この男が醸し出す雰囲気から国王の特使に間違いなかった。
男性の背後には4人の騎士、窓際にももう2人の騎士が立っており、全員の視線がフェレイドに向けられる。
男性はふー・・・・・と深い息を吐くと、緩慢な動作で椅子から立ち上がった。
「私はリヒテラン王国勅命特使のテオバルト=ハンネス=ビュッテンフェルトと申す。国王ジークヴァルト陛下の命により、魔術師セヴェリーニ=ローザラン殿とその護衛剣士を王城へお招きするために参った」
ビュッテンフェルトと名乗った特使は胸元に手をあてて名を名乗り、フェレイドとその後ろにいたマルティンを不躾な視線で交互に見遣った。
どちらがセヴェリーニ付きの剣士なのか測りかねている様子だ。
マルティンよりはもう少し品があると自分では思うのだが、貴族にとってみれば、剣士は金のために剣を振るうだけの野蛮な連中としか見ておらず、それが魔術師付きだろうが所詮同じだと考えているのだろう。
「長らくお待たせして大変申し訳ございません。私がセヴェリーニ=ローザラン付きの剣士、フェレイドと申します」
貴族が剣士のことをどう思っていたとしても、剣士にも剣士の誇りがある。
相手が国王だろうが魔術師だろうが、決して膝を折らないのが何事にも囚われない剣士の生き様。
負けじと堂々とした口調で名を名乗り、胸元に手をあててゆっくりと頭を下げた。
「そちらは?」
この状況でも締まりのない笑顔で手を振るマルティンに、特使の蔑視の眼差しが向けられるが、それに気づかないふりをして、フェレイドは最上の笑みを浮かべた。
「彼は私の剣士仲間で、マルティンと申します」
その名を告げると、特使の背後に立っていた騎士の数名が驚いたように目を開き、一瞬視線を交わしあった。
戦場で勇猛果敢に敵へ立ち向かう傭兵の名は、どうやらリヒテラン王国騎士にも知れ渡っているらしい。
「まさか、王城まで付いてくるつもりじゃないだろうな」
マルティンにひそひそと小声で問いかけるが、返ってきたのは食堂内に響き渡るほどの笑い声だった。
「ないない!そりゃあない!俺が城なんて堅苦しい場所似合うと思うか?泥臭くて血なまぐさい戦場の方が似合うって!なあに、天下の魔術師殿に一目会えたら俺はさっさと出て行くから!心配すんな!」
がははっと大笑いしてフェレイドの背中をバンバン叩くマルティンの豪快さに、特使も騎士たちも目を剥き呆気にとられていた。
空気を読まないマルティンに頭が痛くなり米神を押さえる。
「あー・・・・・と、煩い男で申し訳ありません。この男のことは気にしないでいただきたい。それで・・・・・・ローザランを王城にお招きいただくという話ですが・・・・・・」
はっと我に返ったらしい特使は、気を取り直し、ごほんっと大きく咳払いをした。
「左様。今宵、他国からお招きした賓客を歓迎する宴が王城で執り行われる。その宴に、是非ともセヴェリーニ=ローザラン殿にご出席いただきたいとの国王陛下たってのご希望である」
「歓迎の宴・・・・・ですか」
フェレイドは表面上では笑顔を崩さなかったが、内心ではひやりとした。
他国の来賓を歓迎する宴に招くということは、リヒテラン王国国王が天下の大魔術師セヴェリーニ=ローザランと知己である、と他国に対して知らしめるようなものだ。
魔術師は政治に関わるべからず。
それがこの大陸の不文律なのだが。
リヒテラン王国の現国王は、温厚そうな見た目に反して、なかなか強かな性格だと噂で聞いていたが、セヴェリーニを他国への牽制に使うつもりなのだろうか。
だが、こちらも政治に巻き込まれるのは御免だ。
「・・・・・・私の一存ではお答えいたしかねます。ローザランに伺いますので、申し訳ありませんが、もうしばらくこちらでお待ちいただけますか」
「・・・・・・了解した」
一呼吸置いて唸るように返答した特使は、再び椅子に腰かける。
「マルティンも、すまないがここで待っててくれ」
「は!?ここで!?何でだよ!冗談じゃねえ!俺も連れて行けよ!」
ガクガクと激しく肩を揺さぶられ、面倒になって深いため息をもらす。
確かに、こんなうるさい男を貴族や騎士がいる場所に留めておくのは迷惑か。
「こっちに来てくれ」
自分よりも図体のでかい男の腕を掴み、引きずるように扉の外へと連れ出した。
「おいおい、何だよ」
「・・・・・・せめて階下で待っていてくれないか。悪いが部屋には連れていけない」
「なんでだよ!セヴェリーニ=ローザランに会わせろよ!」
「あとで紹介するから・・・・・・ローザランは、その・・・・・・気難しい男なんだよ」
もしこの男を部屋に入れようものなら、あのセヴェリーニのことだ、にっこりと微笑みながら、人間相手には使用を禁じられている魔術を平気で使いかねない。
この男も一度は痛い目にあったほうがいいと思うが、実際にされるのはさすがに困る。
「気難しい?まあ、偏屈な魔術師だからな・・・・・・ちっ、わかったよ」
納得したのかはわからないが、階段下の長椅子にどかりと腰かけ、苛々とした様子で貧乏揺すりを始めた。
「大人しく待ってろよ」
「わかったよ!うるせーな!」
大勢の客と従業員が固唾をのんで行方を見守る中、フェレイドは内心、鬱々とした気持ちで階段をあがっていく。
足取りが重い。
セヴェリーニと組んでからずっと、騒動に巻き込まれっぱなしだ。
2階に上がり廊下の突き当たりまで行くと、一番奥の扉の前に立つ。
大きく息を深呼吸し、鍵を扉の鍵穴へと静かに入れた。
柄の部分に月と太陽が彫られた鉄の鍵は年代物らしく、使い込まれて鈍く光っていたが、今のフェレイドにはそれを楽しむ余裕もなかった。
ガチャリと錠が上がる音が鳴って、取っ手を掴み、金属が擦れあう音を響かせて扉をゆっくりと引いた。
「遅い」
扉が開ききる前に、苛立ちを含んだ声とともに白い何かが勢いよく飛んできた。
フェレイドは難なくそれを左手で受け止め、はあ、と息を吐いた。
飛んできた白いもの、その正体は枕で、柔らかなそれを寝台へと戻してぽんぽんと叩いた。
「リヒテラン王国国王の遣いが来ているのはわかっているんだろう?」
「当然です」
椅子に座りこちらをまっすぐ睨んでいたのは、最高級の絹糸で織られた、光沢が眩しい魔術着をまとったセヴェリーニ。
鮮やかな黄金の髪は整えられ、まるで金糸のように艶めいていた。
窓の外から差し込む光に照らされ、まるで神のごとく神々しい。
誰もが見惚れるに違いない、麗しの魔術師そのもので、先程まで寝ていたとは思えないほど完璧な出で立ちだった。
「宿屋の外も内もこれだけ騒がしいのですから、それくらいすぐにわかります」
肩にかかった髪をかきあげて、セヴェリーニはつんと顔を上げた。
「だったら俺を待たなくても良かったんじゃないか。国王に招かれるのは別に初めてじゃないんだろ?出かける準備が出来ていたのなら、セヴェリーニだけで行ってもよかったのに」
立ち上がったセヴェリーニは腰に手をあて、むっとした表情で睨んできた。
「貴方は私付きの剣士でしょう?私一人で行ってどうするんです?」
「・・・・・・やはり、行くのか?」
「リヒテラン王国国王には魔穴の件で尽力いただいてますからね」
魔穴の存在は公に知られていないが、一部の神官や、各国の長には知らされており、魔穴に関する情報を得たり、援助を受けているのだと以前セヴェリーニに聞いたことがある。
援助というのが具体的にどのようなものかは聞いてないが、金銭的なものであろうことは容易に想像できる。
しかし、表立って一国の国王と親交があることを知られるのはあまり望ましくないのではないだろうか。
「特使が言うにはセヴェリーニを他国の来賓を招いた宴に招待したいそうだが」
「何か懸念でも?」
「まあ、その、セヴェリーニがリヒテラン王国国王と親しいことを他国に知らしめるつもりじゃないかと・・・・・・」
「ああ・・・・・・なるほど」
すぐに意図を理解したらしい。
口元にゆうるりと笑みを浮かべ、唇に指をあてて可笑しそうにクスッとわらった。
「フェレイドは私が国同士の政治問題に巻き込まれるのではないかと心配してくださっているのですね」
「おい。笑い事じゃないだろ」
「いえいえ。ご心配には及びません。『魔術師は政に関わるべからず』偉大なるヴォルトレー大魔術師のお言葉をお忘れですか?私はそのようなものに興味ありませんし、巻き込まれるつもりもありません」
朗らかな笑みを浮かべてセヴェリーニははっきりと言った。
「しかし、セヴェリーニがそのつもりがなくても・・・・・・」
「私を誰だと思っているのです?一国の主ごときが私を利用できるとでも?」
さらっと「一国の主ごとき」と言ったセヴェリーニは不敵に微笑んだ。
フェレイドは息を呑み、しばしセヴェリーニを凝視したのち、息を吐き出して苦笑する
「・・・・・・確かにそうだな」
四強国と謳われる大国リヒテラン王国を20年近く治めてきた国王は、政治の表も裏も知り、駆け引きにも長け、どれほど滑稽でも難なく腹芸もできるだろう。
しかし、セヴェリーニは国王の企みなどとっくに見抜いていて、そのうえで行くと言っているのだ。
心配するだけ損ということか。
「ほら、特使をお待たせしているのでしょう?早く着替えてください」
急かすようにフェレイドの背中をグイグイと押してくる。
特使を待たせている原因がフェレイドだと言わんばかりだ。
「わかったよ・・・・・・」
緩慢な動作で衣類を入れた荷袋を開け、背中に鋭い視線を感じつつ、フェレイドは正装着一式を取り出す。
剣帯を一度腰から外し、丸テーブルの上に置いた。
剣士や騎士、剣を振るう者にとって、剣は己の分身であり魂にも等しい。
例え家族であっても触れさせない者もいるというくらい大切な存在であるそれを、セヴェリーニも理解してくれているのか、焔の術をかけるとき以外、極力触れようとはしない。
フェレイドとの距離感を保とうとしているらしく、そういう点ではセヴェリーニは真面目なんだなと時々思う。
綿のシャツを脱ぎ、光沢ある絹のシャツに着替え、襟元には同じく絹のスカーフを巻き、紫色の小さな宝石が輝く銀のピンを留めた。
さりげない銀糸の刺繍で模様が描かれた黒のベストを羽織り、銀のボタンで前を閉じる。
ばさりと黒の上着を羽織ると、セヴェリーニが腕を伸ばしてきて、その細い指先で、上着の襟を整えてくれた。
「・・・・・・ありがとう」
「いえ」
満足気な笑みをたたえ、セヴェリーニは正装に着替えたフェレイドを、上から下まで品定めするように見てくる。
「どこか変か?」
左右に体を振り、高級品を身にまとう自分の姿を見下ろすが、やはり何度見ても気恥ずかしいというか、服に着られているような気分で落ち着かなくなる。
だが、セヴェリーニは思わずドキリとさせられるような微笑みを浮かべて首を振った。
「とんでもない。どこから見ても凛々しい騎士のようですよ」
「騎士って・・・・・・やめてくれ。柄じゃないって」
くすぐったくて思わず照れ笑いをしたフェレイドに、セヴェリーニはふふっと可笑しそうに笑った。
「宴でも注目の的でしょう。いつものように、淑女たちが貴方に声をかけてきますね」
「いやいや・・・・・それはないだろう。注目の的はセヴェリーニだし、ましてや今回は賓客を招いての国王主催の宴だ。リヒテラン王国内の貴族が来るだろうし」
「それが、何か?」
「リヒテラン王国にははっきりとした身分関係があって、王族や貴族の選民意識は強い。彼らが一介の剣士に過ぎない俺に声なんてかけて来ないさ」
正直に言っただけなのだが、セヴェリーニにはお気に召さなかったようだ。
不満げに、その綺麗な顔を歪めて睨んできた。
「どうしてそのように自分のことを卑下して言うのですか?」
「卑下って・・・・・・いや、べつに・・・・・」
何を怒っているのかわからず、目をぱちくり瞬きさせて見下ろすが、視線をそらしたセヴェリーニはくるりと身体の向きを変えた。
「まあ、いいでしょう。そろそろ参りましょうか」
「あ、ああ・・・・・・」
やはりからわかれたのだろうか。
セヴェリーニの真意は読み取れず、フェレイドは戸惑いつつも、腰に剣を差して頷いた。
誰しもが足を止めて、幾重にも重なった人垣の隙間から中を覗きこもうとしている。
「こりゃすげえ人だな」
「ああ・・・・・なかなか抜けるの大変だな」
「よっしゃ!俺が道を作ってやるぜ!」
「怪我人は出すなよ」
と忠告するよりも先に、「おらおら!退きやがれ!」とマルティンがその巨体と勢いで人だかりに突っ込んでいく。
やれやれと諦めて付いて行き、ようやく輪の中心に出ることができたが、開けた視界に飛び込んできた光景に、くらくらと目眩に襲われた。
それは、先に飛び出していたマルティンも同じだったらしい。
「おいおい、マジかよ!」
突っ立ったまま呆気にとられて口をあんぐりと開けていた。
宿屋の入口を塞ぐように箱形の馬車が停められていた。
華美を好まないリヒテラン王国らしく、車体は黒一色のみで塗られていたが、まるで鏡のように磨き上げられていた。
車体の黒とは対照的に、窓枠や前後の車輪は、黄金で彩られており、特に目を引いたのは、扉に大きく象られた黄金の紋章だった。
双頭の竜と2本の剣が重なった威厳を放つその紋様は、間違いなくリヒテラン王国の王家の紋章だ。
王族あるいは限られた賓客のみが利用するという王家専用車で、つまりこの馬車は、リヒテラン王国国王から直々に招待をされているという証でもある。
街中でまず見かけることのない王族専用馬車が市井の宿屋の前に停められているのだから、異様な光景に人々が群がるのも当然だろう。
そんな王族専用馬車とともに10頭ほどの立派な馬が並び、さらに宿屋の入口を塞ぐように二人のリヒテラン王国騎士が立っているために、一層その異様さが増している。
今まで訪れてきた各地でもセヴェリーニは賓客扱いを受けてきたが、フェレイドが同行するようになってからは、国王から招待を受けるのは初めてだ。
フェレイドたちに気づいた騎士が入口に立ちはだかるが、宿屋の男が恐る恐る近づくと、顔を覚えていたのだろう、騎士たちは互いに見合い、スッと道を開けた。
フェレイドも軽く頭を下げて騎士の横を通ったが、付いてきたマルティンは「よっ。ご苦労さん」と軽く手を挙げて騎士に声をかける。
当然ながらそれは無視されることになり、マルティンは「なんだなんだ。愛想ねぇな」と眉をひそめて文句を言う。
「彼らは騎士で任務中なんだから、相手するわけないだろ」
「それにしたってよお、騎士ってのは四角四面でクソ真面目な連中だよなあ。俺にはやっぱり無理無理」
まだ文句を言い続けるマルティンに呆れて肩を竦める。
「確かに、おまえには騎士なんて似合わないよな。第一、おまえは『気品』なんて言葉とは真逆だからな」
「なんだってえ!?俺だって良い服を着たら少しはまともに・・・・・おわっ!」
マルティンに胸倉を掴まれそうになるが、宿屋に足を踏み入れるのと同時に、大勢の従業員たちに囲まれてしまい、さすがのマルティンも勢いを削がれてしまった。
「ヴァレンさん、お帰りなさい!」
「待ってましたよー!」
「ヴァレンさん、もう、限界ですよー!」
「助けてください!」
フェレイドを呼びに来た宿屋の男の名はヴァレンというらしい。
半泣き状態ですがりついてくる従業員たちを「まあまあ」と宥めているこの男は、もしかしたら宿屋の主人なのかもしれない。
「お客さんを連れてきたから、もう大丈夫だよ」
従業員だけでなく、宿屋から出られずに足止めされた宿泊客も含め、全員の視線が一斉にフェレイドに突き刺さった。
救いを求めるような視線、騒動の原因の一端に対する苛立ちのような、恨めしげな視線だったりと、様々な感情がフェレイドを串刺しにして、なんとも気まずい気分になった。
「さあさあ、おまえたち離れて。お客さん、あちらで特使がお待ちです」
「ああ、わかった」
男に誘導されて食堂へと向かえば、その入口前にも漆黒の騎士服を着たリヒテラン王国騎士が立ちはだかっていた。
「えっと・・・・・・失礼しますよ」
背中を丸めるようにして男が近づくと無言で騎士たちは横に避けるが、剣を差したフェレイドに鋭い視線を注いでおり、不穏な動きをすれば、腰に提げた剣をいつでも抜くつもりでいるのだろう。
当然のように後をついてきたマルティンは、またもやへらへらと笑いながら騎士たちに軽く手を振る。
「おまえ、ついて来る気か?」
「あったりまえよ!こんな面白いことから俺を除け者にする気か?」
「面白いって・・・・・・」
「お、お待たせいたしました!特使殿!け、剣士殿を、お、お連れ、いたしました!」
マルティンをぎろりと睨みつけたフェレイドだったが、強張る男の声にすぐに意識を前に戻した。
20くらいはあるだろうか、丸いテーブルが整然と並んだ宿屋の食堂は、普段は大勢の客で賑やかだろうに、今は誰一人客がおらず、沈黙が広がるだけだ。
食堂の中央のテーブルに、この宿では一番品の良いだろう肘掛がある椅子が置かれ、50代前半くらいの壮年の男性が座っていた。
金糸の刺繍をふんだんにあしらった白の上着、レースがほどこされた襟元のスカーフには、大粒の緋色の宝石が輝くピンが留められている。
身にまとう全てが質が良い高級品で、明らかに高位の貴族であることを示しており、この男が醸し出す雰囲気から国王の特使に間違いなかった。
男性の背後には4人の騎士、窓際にももう2人の騎士が立っており、全員の視線がフェレイドに向けられる。
男性はふー・・・・・と深い息を吐くと、緩慢な動作で椅子から立ち上がった。
「私はリヒテラン王国勅命特使のテオバルト=ハンネス=ビュッテンフェルトと申す。国王ジークヴァルト陛下の命により、魔術師セヴェリーニ=ローザラン殿とその護衛剣士を王城へお招きするために参った」
ビュッテンフェルトと名乗った特使は胸元に手をあてて名を名乗り、フェレイドとその後ろにいたマルティンを不躾な視線で交互に見遣った。
どちらがセヴェリーニ付きの剣士なのか測りかねている様子だ。
マルティンよりはもう少し品があると自分では思うのだが、貴族にとってみれば、剣士は金のために剣を振るうだけの野蛮な連中としか見ておらず、それが魔術師付きだろうが所詮同じだと考えているのだろう。
「長らくお待たせして大変申し訳ございません。私がセヴェリーニ=ローザラン付きの剣士、フェレイドと申します」
貴族が剣士のことをどう思っていたとしても、剣士にも剣士の誇りがある。
相手が国王だろうが魔術師だろうが、決して膝を折らないのが何事にも囚われない剣士の生き様。
負けじと堂々とした口調で名を名乗り、胸元に手をあててゆっくりと頭を下げた。
「そちらは?」
この状況でも締まりのない笑顔で手を振るマルティンに、特使の蔑視の眼差しが向けられるが、それに気づかないふりをして、フェレイドは最上の笑みを浮かべた。
「彼は私の剣士仲間で、マルティンと申します」
その名を告げると、特使の背後に立っていた騎士の数名が驚いたように目を開き、一瞬視線を交わしあった。
戦場で勇猛果敢に敵へ立ち向かう傭兵の名は、どうやらリヒテラン王国騎士にも知れ渡っているらしい。
「まさか、王城まで付いてくるつもりじゃないだろうな」
マルティンにひそひそと小声で問いかけるが、返ってきたのは食堂内に響き渡るほどの笑い声だった。
「ないない!そりゃあない!俺が城なんて堅苦しい場所似合うと思うか?泥臭くて血なまぐさい戦場の方が似合うって!なあに、天下の魔術師殿に一目会えたら俺はさっさと出て行くから!心配すんな!」
がははっと大笑いしてフェレイドの背中をバンバン叩くマルティンの豪快さに、特使も騎士たちも目を剥き呆気にとられていた。
空気を読まないマルティンに頭が痛くなり米神を押さえる。
「あー・・・・・と、煩い男で申し訳ありません。この男のことは気にしないでいただきたい。それで・・・・・・ローザランを王城にお招きいただくという話ですが・・・・・・」
はっと我に返ったらしい特使は、気を取り直し、ごほんっと大きく咳払いをした。
「左様。今宵、他国からお招きした賓客を歓迎する宴が王城で執り行われる。その宴に、是非ともセヴェリーニ=ローザラン殿にご出席いただきたいとの国王陛下たってのご希望である」
「歓迎の宴・・・・・ですか」
フェレイドは表面上では笑顔を崩さなかったが、内心ではひやりとした。
他国の来賓を歓迎する宴に招くということは、リヒテラン王国国王が天下の大魔術師セヴェリーニ=ローザランと知己である、と他国に対して知らしめるようなものだ。
魔術師は政治に関わるべからず。
それがこの大陸の不文律なのだが。
リヒテラン王国の現国王は、温厚そうな見た目に反して、なかなか強かな性格だと噂で聞いていたが、セヴェリーニを他国への牽制に使うつもりなのだろうか。
だが、こちらも政治に巻き込まれるのは御免だ。
「・・・・・・私の一存ではお答えいたしかねます。ローザランに伺いますので、申し訳ありませんが、もうしばらくこちらでお待ちいただけますか」
「・・・・・・了解した」
一呼吸置いて唸るように返答した特使は、再び椅子に腰かける。
「マルティンも、すまないがここで待っててくれ」
「は!?ここで!?何でだよ!冗談じゃねえ!俺も連れて行けよ!」
ガクガクと激しく肩を揺さぶられ、面倒になって深いため息をもらす。
確かに、こんなうるさい男を貴族や騎士がいる場所に留めておくのは迷惑か。
「こっちに来てくれ」
自分よりも図体のでかい男の腕を掴み、引きずるように扉の外へと連れ出した。
「おいおい、何だよ」
「・・・・・・せめて階下で待っていてくれないか。悪いが部屋には連れていけない」
「なんでだよ!セヴェリーニ=ローザランに会わせろよ!」
「あとで紹介するから・・・・・・ローザランは、その・・・・・・気難しい男なんだよ」
もしこの男を部屋に入れようものなら、あのセヴェリーニのことだ、にっこりと微笑みながら、人間相手には使用を禁じられている魔術を平気で使いかねない。
この男も一度は痛い目にあったほうがいいと思うが、実際にされるのはさすがに困る。
「気難しい?まあ、偏屈な魔術師だからな・・・・・・ちっ、わかったよ」
納得したのかはわからないが、階段下の長椅子にどかりと腰かけ、苛々とした様子で貧乏揺すりを始めた。
「大人しく待ってろよ」
「わかったよ!うるせーな!」
大勢の客と従業員が固唾をのんで行方を見守る中、フェレイドは内心、鬱々とした気持ちで階段をあがっていく。
足取りが重い。
セヴェリーニと組んでからずっと、騒動に巻き込まれっぱなしだ。
2階に上がり廊下の突き当たりまで行くと、一番奥の扉の前に立つ。
大きく息を深呼吸し、鍵を扉の鍵穴へと静かに入れた。
柄の部分に月と太陽が彫られた鉄の鍵は年代物らしく、使い込まれて鈍く光っていたが、今のフェレイドにはそれを楽しむ余裕もなかった。
ガチャリと錠が上がる音が鳴って、取っ手を掴み、金属が擦れあう音を響かせて扉をゆっくりと引いた。
「遅い」
扉が開ききる前に、苛立ちを含んだ声とともに白い何かが勢いよく飛んできた。
フェレイドは難なくそれを左手で受け止め、はあ、と息を吐いた。
飛んできた白いもの、その正体は枕で、柔らかなそれを寝台へと戻してぽんぽんと叩いた。
「リヒテラン王国国王の遣いが来ているのはわかっているんだろう?」
「当然です」
椅子に座りこちらをまっすぐ睨んでいたのは、最高級の絹糸で織られた、光沢が眩しい魔術着をまとったセヴェリーニ。
鮮やかな黄金の髪は整えられ、まるで金糸のように艶めいていた。
窓の外から差し込む光に照らされ、まるで神のごとく神々しい。
誰もが見惚れるに違いない、麗しの魔術師そのもので、先程まで寝ていたとは思えないほど完璧な出で立ちだった。
「宿屋の外も内もこれだけ騒がしいのですから、それくらいすぐにわかります」
肩にかかった髪をかきあげて、セヴェリーニはつんと顔を上げた。
「だったら俺を待たなくても良かったんじゃないか。国王に招かれるのは別に初めてじゃないんだろ?出かける準備が出来ていたのなら、セヴェリーニだけで行ってもよかったのに」
立ち上がったセヴェリーニは腰に手をあて、むっとした表情で睨んできた。
「貴方は私付きの剣士でしょう?私一人で行ってどうするんです?」
「・・・・・・やはり、行くのか?」
「リヒテラン王国国王には魔穴の件で尽力いただいてますからね」
魔穴の存在は公に知られていないが、一部の神官や、各国の長には知らされており、魔穴に関する情報を得たり、援助を受けているのだと以前セヴェリーニに聞いたことがある。
援助というのが具体的にどのようなものかは聞いてないが、金銭的なものであろうことは容易に想像できる。
しかし、表立って一国の国王と親交があることを知られるのはあまり望ましくないのではないだろうか。
「特使が言うにはセヴェリーニを他国の来賓を招いた宴に招待したいそうだが」
「何か懸念でも?」
「まあ、その、セヴェリーニがリヒテラン王国国王と親しいことを他国に知らしめるつもりじゃないかと・・・・・・」
「ああ・・・・・・なるほど」
すぐに意図を理解したらしい。
口元にゆうるりと笑みを浮かべ、唇に指をあてて可笑しそうにクスッとわらった。
「フェレイドは私が国同士の政治問題に巻き込まれるのではないかと心配してくださっているのですね」
「おい。笑い事じゃないだろ」
「いえいえ。ご心配には及びません。『魔術師は政に関わるべからず』偉大なるヴォルトレー大魔術師のお言葉をお忘れですか?私はそのようなものに興味ありませんし、巻き込まれるつもりもありません」
朗らかな笑みを浮かべてセヴェリーニははっきりと言った。
「しかし、セヴェリーニがそのつもりがなくても・・・・・・」
「私を誰だと思っているのです?一国の主ごときが私を利用できるとでも?」
さらっと「一国の主ごとき」と言ったセヴェリーニは不敵に微笑んだ。
フェレイドは息を呑み、しばしセヴェリーニを凝視したのち、息を吐き出して苦笑する
「・・・・・・確かにそうだな」
四強国と謳われる大国リヒテラン王国を20年近く治めてきた国王は、政治の表も裏も知り、駆け引きにも長け、どれほど滑稽でも難なく腹芸もできるだろう。
しかし、セヴェリーニは国王の企みなどとっくに見抜いていて、そのうえで行くと言っているのだ。
心配するだけ損ということか。
「ほら、特使をお待たせしているのでしょう?早く着替えてください」
急かすようにフェレイドの背中をグイグイと押してくる。
特使を待たせている原因がフェレイドだと言わんばかりだ。
「わかったよ・・・・・・」
緩慢な動作で衣類を入れた荷袋を開け、背中に鋭い視線を感じつつ、フェレイドは正装着一式を取り出す。
剣帯を一度腰から外し、丸テーブルの上に置いた。
剣士や騎士、剣を振るう者にとって、剣は己の分身であり魂にも等しい。
例え家族であっても触れさせない者もいるというくらい大切な存在であるそれを、セヴェリーニも理解してくれているのか、焔の術をかけるとき以外、極力触れようとはしない。
フェレイドとの距離感を保とうとしているらしく、そういう点ではセヴェリーニは真面目なんだなと時々思う。
綿のシャツを脱ぎ、光沢ある絹のシャツに着替え、襟元には同じく絹のスカーフを巻き、紫色の小さな宝石が輝く銀のピンを留めた。
さりげない銀糸の刺繍で模様が描かれた黒のベストを羽織り、銀のボタンで前を閉じる。
ばさりと黒の上着を羽織ると、セヴェリーニが腕を伸ばしてきて、その細い指先で、上着の襟を整えてくれた。
「・・・・・・ありがとう」
「いえ」
満足気な笑みをたたえ、セヴェリーニは正装に着替えたフェレイドを、上から下まで品定めするように見てくる。
「どこか変か?」
左右に体を振り、高級品を身にまとう自分の姿を見下ろすが、やはり何度見ても気恥ずかしいというか、服に着られているような気分で落ち着かなくなる。
だが、セヴェリーニは思わずドキリとさせられるような微笑みを浮かべて首を振った。
「とんでもない。どこから見ても凛々しい騎士のようですよ」
「騎士って・・・・・・やめてくれ。柄じゃないって」
くすぐったくて思わず照れ笑いをしたフェレイドに、セヴェリーニはふふっと可笑しそうに笑った。
「宴でも注目の的でしょう。いつものように、淑女たちが貴方に声をかけてきますね」
「いやいや・・・・・それはないだろう。注目の的はセヴェリーニだし、ましてや今回は賓客を招いての国王主催の宴だ。リヒテラン王国内の貴族が来るだろうし」
「それが、何か?」
「リヒテラン王国にははっきりとした身分関係があって、王族や貴族の選民意識は強い。彼らが一介の剣士に過ぎない俺に声なんてかけて来ないさ」
正直に言っただけなのだが、セヴェリーニにはお気に召さなかったようだ。
不満げに、その綺麗な顔を歪めて睨んできた。
「どうしてそのように自分のことを卑下して言うのですか?」
「卑下って・・・・・・いや、べつに・・・・・」
何を怒っているのかわからず、目をぱちくり瞬きさせて見下ろすが、視線をそらしたセヴェリーニはくるりと身体の向きを変えた。
「まあ、いいでしょう。そろそろ参りましょうか」
「あ、ああ・・・・・・」
やはりからわかれたのだろうか。
セヴェリーニの真意は読み取れず、フェレイドは戸惑いつつも、腰に剣を差して頷いた。