セヴェリーニが前に立ち階段を降りていくと、階下で待っていた客や従業員がはっと顔をあげて、一斉にこちらを見上げてきた。

そして、様々な感情渦巻く顔が、みるみるうちに惚けた表情へと波のように変わっていく。

フェレイドにはもううんざりするほど見慣れた光景だ。

「皆様、ごきげんよう」

明瞭で耳に心地よく届く柔らかな声。

心臓を矢で打ち抜かれたように皆が息を飲む。

1段1段、また1段、セヴェリーニが階段を降りるたびに、ふわりふわりと黄金の髪が揺れる。

黄金の髪をもつ者はこの大陸では非常に稀だ。

それだけでも珍しいのに、透き通るように白い肌と、女性と見紛うばかりの麗しい美貌。

階下を見下ろしてにっこりと微笑むセヴェリーニは、さぞかし神々しい光を放つ女神のように見えていることだろう。

まるで金縛りにでもあったかのようにセヴェリーニの姿に心奪われ、誰も動かず口を開こうとしなかった。

それはマルティンも同じだった。

幾度も死地を経験してきたとは思えないほど表情を緩ませ、完全に無防備な姿で立ち尽くしてしまっていた。

今ならこの男を簡単に串刺しにできるのではないだろうか。

「あ、あんたが・・・・・セヴェリーニ=ローザラン?」

マルティンが震える声でセヴェリーニを指さす。

『あんた』呼ばわりされたセヴェリーニがピクリと肩を揺らしたのを見て、フェレイドは内心ひやりとした。

「ええ、そうです、剣士様」

だが、外面がいいセヴェリーニは全てを押し隠して極上の笑顔を返す。

途端にマルティンは、にやあ・・・・・と締まりのない笑みを浮かべて耳まで赤面させた。

予想していた反応だが、髭面の男が顔を赤くする姿というのはなんとも滑稽だ。

「皆さまはじめまして。セヴェリーニ=ローザランと申します。宿の方にも、お泊りの方にも、私のためにご迷惑をおかけして大変申し訳ございません」

申し訳なさそうに眉を下げたセヴェリーニに対して返ってきたのは、これも予想どおりだったが、宿の外にまで響きそうな雄叫びと歓喜の声だった。

麗しい魔術師を一目見ようと、人々が一斉にセヴェリーニを取り囲む。

我先にと挨拶をする人々に嫌な顔1つせず、にこにこと物腰柔らかく応対するセヴェリーニを見て、「なんて気さくな方なんだ」「実にお優しい方だ」「容姿だけでなく心も美しいのだな」と皆が口を揃えて讃美する。

中には涙する者、神を崇めるかのように祈る者、興奮のあまり失神する者、まさしく狂喜乱舞の図だった。

これもまた、フェレイドにとってはお馴染みの光景になってしまった。

(やれやれ・・・・・・)

手を首の後ろにあてて嘆息したフェレイドは、まだ惚けたままのマルティンの横に行くと、肘で腕を2度突いた。

「おい。いつまでその馬鹿面さらしているつもりだ」

「お・・・・・おお・・・・・」

だが、マルティンの反応は鈍い。

「おい、マルティン」

もう1度肘でマルティンを突くが、大勢の人々に囲まれたセヴェリーニを、魂を抜かれたように熱い視線で見つめたままだ。

「あれが・・・・・・セヴェリーニ=ローザランか・・・・・・」

「ああ、そうだが?」

「セヴェリーニ=ローザラン・・・・・・」

不意にマルティンの顔がグルッとこちらに向けられる。

「っ!」

大の男が瞳を輝かせ、満面の笑顔を張り付けている不気味さに、思わずのけ反ってしまった。

「なんだよ、おいっ」

「すごいな!すごいな、おまえ!」

ガシッと肩を掴まれたかと思うと、ガクガクと激しく揺さぶられた。

「ちょっ!おい!よせ!」

「セヴェリーニ=ローザランだぜ!セヴェリーニ=ローザラン!!天下の大魔術師様だぜ!!」

「だから、それが・・・・・・」

「美貌の魔術師だとは聞いていたが、なんだよあれ!!とんでもねえ美人じゃねえか!!ひゃあ!あんな美人、初めて見たぜ!!」

マルティンの興奮ぶりは理解できなくもないが、馬鹿力で揺さぶり続けられるのは御免だ。

「いい加減に離せ。だいたい美人って・・・・・・男だぞ?」

「ああ!そうだった!!あれで男だって!?信じらんねえ!!絶世の美女じゃないか!本当に人間か!?まるで精霊じゃねえか!!」

「まあ、シェラサルトの民だからな。完全に人間というわけでは・・・・・・」

だが、マルティンはフェレイドの言葉など聞いていないのか、明後日の方を見て感嘆のため息を吐き出す。

「『目の保養』てのは、こういうことを言うんだよな!ああ、くそ!おまえ、あの美人と四六時中一緒なんだろ!」

にやにやと厭らしい笑みで顔を近づけてくる。

「それは、まあ・・・・・・」

「かー!羨ましすぎるぜ!この果報者!」

ガハハ!と笑いバンバンと痛いくらいに何度も背中を叩かれるが、不意にその手が止まったかと思うと、さらに上着を繰り返しさすってくる。

「なんだこれ」

「え?」

1歩離れたマルティンは目を開き、フェレイドを頭からつま先までまじまじと見下ろしてくる。

「それ、正装着か?手触りが何だか・・・・・・まさかこの上着、絹?刺繍も絹糸かよ!うげ!この紫のやつ、もしかして宝石かあ?なんだおまえ、この格好!」

「え?あ、ああ」

ようやく何を言われているのか気づき、フェレイドは自分の格好を見下ろし苦笑する。

セヴェリーニに言われるがままに誂えた、最高級品ばかりで身を固めた正装姿だ。

「これか?はは、似合わないだろ?ローザランと組むようになってから仕立てたんだが、何だか自分じゃないみたいで恥ずかしいんだ。服に着られてるみたいだろ」

気恥ずかしくて苦笑するが、マルティンは髭を指でなぞりながら、何やら感心したような顔で「ほうほう」と頷いている。

「いやいや、とんでもない。似合わないどころかおまえ、まるで騎士か貴族みたいに見えるぜ?」

「騎士?何を言って・・・・・・」

騎士か貴族のようだと言われ、それを否定する言葉はなく、気まずくて顔を反らし、髪をかいて誤魔化してしまった。

だが、単純なマルティンはフェレイドの困惑に気づかなかったようだ。

フェレイドの肩に腕を回してきたマルティンは、にやりと笑って顔を覗きこむ。

「悔しいが、こうして見るとおまえ、ほんっとに男前だよなあ。ほら、あっちの嬢ちゃんも、あっちの姉ちゃんも、顔を赤くしておまえのこと見てるぜ?あの格好いい男は誰だってさ」

マルティンは囃し立てながら人だかりを指さした。

「まさか・・・・・・からかうなよ」

人々が見ているのはフェレイドではなくセヴェリーニだ。

単なる剣士であるフェレイドのことなど見る者はいない。

だが、マルティンは「ああ?」と顔を歪めると頭を叩いてきた。

「おまえはほんっとに鈍いな!この、男の敵め!」

「はあ?」

「フェレイド」

涼やかな声に振り替えれば、大勢の人々を背景にして、にっこりと笑うセヴェリーニが側まで来ていた。

「そろそろ参りましょう。特使をお待たせしてますから」

「あ、ああ」

セヴェリーニが笑顔のまま隣のマルティンへ顔を向けると、マルティンの広い肩が大きく揺れる。

「そちらは先程の剣士様ですね。フェレイドのお知り合いですか?」

「ああ、彼は」

「おう!初めましてだ、セヴェリーニ=ローザラン殿!俺の名はマルティン!フェレイドとは戦場で共に戦った戦友だな。いやー!噂では聞いてたが、ほんとに美人だな!なんとも可憐で麗しい!あんたのような美人さんと組んだフェレイドが羨ましいぜ!」

フェレイドから離れたマルティンはセヴェリーニの手をいきなり握ったかと思うと、にっかりと白い歯を見せて、それをブンブンと上下に振った。

マルティンの図体の大きさ、声の大きさと遠慮のない迫力に、さすがのセヴェリーニも呆気にとられてポカンとなるが、気を取り直してすぐにふわりと笑みを浮かべた。

「ありがとうございます、マルティン殿。こちらこそはじめまして。セヴェリーニ=ローザランと申します」

「おう!会えて光栄だぜ!よろしくな!しっかし、フェレイドがセヴェリーニ=ローザランと組んだなんて何かの冗談かと思っていたんだが本当だったんだなあ。いやはや、驚きだぜ!」

「冗談て、あのな・・・・・・」

「フェレイドとは知り合って長いのですか?」

その笑顔がこちらに向けられたので、フェレイドは頷き返した。

「そうだな・・・・・・5年くら」

「そうだぜ!会って5年くらいかな!」

フェレイドの言葉を遮り、マルティンは再びフェレイドの肩に腕を回してきた。

マルティンのほうが背が高いため、全体重がフェレイドの肩にのし掛かってくる。

「ちょ、重っ・・・・・・」

「こいつはね!剣の腕はたつし、頭も良いし、剣士としては最高に優れた男なんだがね、ほらほら、何しろこの顔だろ〜?むかつくくらいにこいつの回りにはいつも女が集まるんだよな〜。なのにだ!この男前は自分がモテてることに気づかない鈍い男なんだよな!ほんと、男の敵だ、敵ぃ!」

「おい、やめろ!」

勢いよく何度も背中を強く叩かれ、なんとか身体をねじってそれから逃れる。

「いい加減にしろ!」

マルティンをきつく睨み付けるが、くすくすと小さな笑い声に振り返れば、セヴェリーニが手を口にあてて可笑しそうに笑っていた。

「お二人とも、随分と仲が良いのですね」

「はあ?別に仲良くは・・・・・・」

「おう!供に裸で風呂に入る仲だからな!」

親指を立ててぐっと前に出し、とんでもないことを言うマルティンに呆れ、フェレイドは深いため息を吐く。

「変な風に言うな。共同浴場に入っただけだろ」

「ったく、面白味のない男だなあ。こいつの欠点は冗談が通じないクソ真面目てところだな。そうだ!何ならこいつの恥ずかしい話でもしようか?10代の頃も知ってるからな。若気の至り話もたくさんあるし。どうだい?フェレイドの昔話、興味あるかい?」

「あるわけないだろ。もう止せ、マルティン。特使を待たせているんだ。時間が」

「はい。あります」

だが、予想に反して、セヴェリーニは嬉しそうに笑って頷いた。

「お!いいねえ!話、わかるじゃねーか!」

「ちょっ、おい、セヴェリーニ!」

慌ててセヴェリーニの細い腕を掴むが、それを振りほどくことはせず、セヴェリーニは柔らかな笑みを浮かべた。

「フェレイドの昔の話、楽しそうですね」

「おい、どういうつもりだ」

「何がですか?私がフェレイドのことを知りたいと思うのはおかしいことですか?」

「そうじゃなくて・・・・・・」

フェレイドは額を押さえて嘆息する。

「俺には何も聞かないじゃないか。俺のことなんて別に興味ないんじゃないのか?」

契約を結んで1ヶ月以上がたつが、セヴェリーニがフェレイドについて聞いてきたことはほとんどない。

名を隠し、過去を知られたくない剣士は少なからずいる。

フェレイドもその一人だ。

だが、剣士になって以降の話であれば別に隠すようなものではないし、セヴェリーニから聞かれれば答えるつもりでいたが、今まで聞かれたことはなかった。

だが、セヴェリーニは肩を竦めて小さく笑った。

「とんでもない。興味はありますよ。ですが、フェレイドが話さないのであれば無理に聞けないでしょう?マルティン様が話してくださると言うのですから、せっかくの機会です。是非聞いてみたいです」

「なにを言って」

「よっしゃ!決まりだな!」

マルティンがセヴェリーニの背を叩くが、セヴェリーニは何故かそれを嫌がることなく嬉しそうに笑っていた。

何を考えているのか読めないその笑顔が不気味で仕方がない。

「ちょっと待て、セヴェリーニ」

「それで、マルティン様のご都合はいかがですか?よろしければ明日にでも」

「明日あ?そりゃあ俺は構わないが、今夜は王城に招かれているんだろ?そのまま城に滞在しろとか勧められるんじゃねえの?いいのか?」

腰に手をあて、反対の手で髭をなでながらマルティンは首をかしげる。

マルティンの疑問はもっともだ。

魔術師と知己であることを内外に知らせ、国の威信を保ちたい一国の主が、天下の大魔術師セヴェリーニ=ローザランを大々的に迎えて、たった一晩の宴で済ませるわけがない。

しかし、そのような思惑はセヴェリーニには関わりのないことだ。

「構いません。顔出しをして一通り挨拶を済ませば義理も果たせます。長居する必要はありませんから、今夜中に戻るつもりです。明日でよろしいでしょうか?」

セヴェリーニの蕩けるような微笑みを間近に見てしまったマルティンは、動揺したのかうっすらと顔を赤らめ、「お、おう・・・・・・」と頷いた。

「おい、フェレイド」

いきなりガシッと肩に腕を回したマルティンは小声で囁いてくる。

「なんだよありゃあ、反則だろ。なんて顔するんだ。傾国の美女たちも真っ青になって逃げ出すほどの美貌じゃねぇかよ!くそ!やっぱりおまえ、羨ましいぜ!」

ドスドスと、腹を拳で何度も小突かれる。

「まあ、おまえの言いたいことはよくわかるが・・・・・・それより、俺のことをセヴェリーニに話すのはやめ」

「おう、それな!俺はしばらく『青の薔薇亭』という娼館で厄介になっているんだ。俺の名を出してもらえばいつでも歓迎するぜ。何なら、とびきりの美人をおまえに紹介するし」

「娼・・・馬鹿かおまえは!セヴェリーニを娼館なんかに連れていけるわけないだろ!おまえが宿に来い!」

「ちっ、うるさい男だなあ。わかったよ。じゃ、明日、昼飯ついでに来るわ。もちろん、おまえの奢りだよな。美味い酒も飲ませろよ。てことなんで、よろしく」

ハッと我にかえったが時すでに遅し。

勢いにまかせて、自らこの男を招いてしまったのだ。

「ちょっ、待っ」

「決まりですね」

騒動の輪の中心であるセヴェリーニは、楽しそうに笑って、手を合わせてパンと鳴らした。

「・・・・・・」

その笑顔にこれ以上何も言い返すことが出来ず、フェレイドは深く息を吐いた。

マルティンのことだから、面白おかしく話を盛るだろうが、おそらく悪くは言わないだろう。

それに、マルティンはフェレイドの剣士時代しか知らず、剣士以前のことは知らない。

聞かれても困るような過去ではない。

セヴェリーニがフェレイドのことを知りたいの言うのであれば、まあ、フェレイドが拒むほどのことではない。

「わかったよ・・・・・・」

少し瞳を大きくしたセヴェリーニだったが、微かに安堵したように表情を緩めてにっこりと笑った。