国王の特使に先導され王城にたどり着いたフェレイドたちは、息つく暇もなく、宴が催されているという大広間へ案内されることになった。
セヴェリーニは何度か来ていると言っていたが、勝手知ったる様子で堂々と城内を進んでいく。
一方のフェレイドはというと、4強国と謳われる国の王城の広大さと豪華さに少々気後れしていた。
確かに武官の貴族の生まれではあるが、社交界に出る年齢に達する前から早々に家出を繰り返していたため、このような場を経験したことがほとんどなかったからだ。
自分が場違いな存在のような気がして、何とも気まずくて落着けなかった。
「魔術師セヴェリーニ=ローザラン殿、ご来場でございます!」
絨毯が敷かれた長い廊下の先を進むと、侍従の朗々とした声が高らかに響き渡り、その先にあった大きな扉がぎいっと開かれた。
まぶしい光にますます内心は落ち着かなくなる。
だが、セヴェリーニは臆することなくその扉の中へと胸をそらして入っていく。
このようなことはセヴェリーニにとって大したことではなくて、むしろさっさと終わらせて宿に戻りたいと思っているのことだろう。
フェレイドは一瞬ためらいつつも、意を決してカツと大理石が敷き詰められた大広間へと踏み出した。
その途端、ざっと見渡しただけでも100近くは居るであろう紳士淑女の視線が、一斉にこちらへと向けられる。
競い合うように美しく着飾った貴族たちは高位者に対する礼の後、うっとりとした表情で誰よりも美しいセヴェリーニを追っていた。
セヴェリーニは白皙の美貌に優雅な微笑みを浮かべながら、右へ左へと貴族たちの挨拶に頷き返す。
国内から集まった有力貴族ばかりということもあり、さすがに一般市民のように、セヴェリーニを取り囲んで歓声をあげたり、雄叫びをあげたり、大騒ぎをする者はいないが、内心は今にも叫びたいくらい歓喜に満ち溢れていることだろう。
「これはこれは、麗しの魔術師殿」
広間に響く低めの声に視線を向けると、数人の官吏や騎士を従えた壮年の男性が、朗らかな笑みを浮かべて近づいてくる。
口ひげを生やし、肩下ほどの長さの白髪交じりの髪を後ろで束ね、濃い赤色のマントを羽織ったこの男性。
笑みをたたえてはいるが、醸し出す雰囲気は為政者としての迫力が感じられた。
この大広間の誰よりも最初に声をかけてきたこの男性が、リヒテラン王国のジークヴァルト国王だろう。
フェレイドはごくりと息をのんだ。
「お久しぶりでございます、セヴェリーニ=ローザラン殿。今宵はようこそおこしくださいました」
胸元に手を当てて頭を下げ、高位者に対してうやうやしく礼を執るリヒテラン国王の姿などなかなか見られるものではない。
「こちらこそ、ジークヴァルト国王陛下。素晴らしい宴の場にお招きいただきありがとうございます」
「とんでもない。誉れ高き魔術師殿を我が城にお招きできたこと、誠に喜ばしく思っております」
セヴェリーニの誰をも魅了する笑顔にも動じた様子を見せない国王は、肩を揺らして余裕げに笑った。
「それで、こちらが・・・・・・」
その瞳がゆっくりとフェレイドへと向けられ、心臓がドキッと跳ねた。
「セヴェリーニ=ローザラン殿と契約を結んだという剣士殿ですな」
セヴェリーニに対するのとは違い、どこか探るような鋭い眼差し。
大陸中にその名を轟かす天下の魔術師と並ぶに相応しい者なのかを見定めているようだ。
「はい。私付きの剣士、フェレイドと申します」
セヴェリーニに紹介されたフェレイドは、胸を手にあて、軽く膝を折って頭を下げた。
これは一国の国王に対する礼としては非礼にあたるものだ。
本来であれば、片膝を折って地に着け、許しがあるまで頭をあげることも、言葉を発することもできない。
それが王族に対する礼というものだ。
だが、フェレイドは魔術師セヴェリーニ=ローザラン付きの剣士。
4強国の国王でさえ頭を下げるセヴェリーニの剣士として、フェレイドもそれに等しい立場であることを示す必要があった。
「ほう、これはこれは・・・・・・なかなかの男前ですな。それに良い面構えをされている。貴方が剣士を付けられたと聞き少々半信半疑でしたが、ローザラン殿の剣士にふさわしい実力を持たれているということですかな」
「ええ、それはもちろん。私のほうから付いていただきたいとお願いしましたから」
さらりと言ってセヴェリーニはにっこりと笑った。
「ほう・・・・・・ローザラン殿がそこまでおっしゃるとは、剣士殿が羨ましい」
はっはっはっ、と笑う国王に、だが、フェレイドは何も言うこともできず、冷や汗をかきながら、ただただ笑顔を浮かべるだけだった。
「今宵、ローザラン殿をお招きできたこと、誠に喜ばしい限りです。せっかくの機会ですから、是非ともご紹介させていただきたい方々がいるのですが、よろしいですかな」
「ええ、私でよろしければ。一体どなたでしょう。フェレイド、楽しみですね」
「ああ・・・・・・」
フェレイドは一瞬顔を引きつらせるが、セヴェリーニは何も気づいていないふりをして小さく笑った。
側にいた官吏らしき男に国王が何か指示をすると、官吏はうやうやしく頭を下げ、大広間の奥で輪を作り、こちらを気にしつつも近づいて来ない人々に声をかけた。
彼らが明らかに他の貴族たちと違うのは、護衛の騎士が付いているということだ。
基本的には帯剣が許されない宴の場に、宮殿騎士以外の者が剣を携えているのは異例のこと。
リヒテラン王国騎士とは異なる騎士服を着た騎士が付いているということは、彼らが来賓として招かれた外国からの客なのだろう。
国王自らではなく官吏が呼びに行ったことから、彼らは王族ではなく、宰相や大臣位にある者だということが推測できる。
「我がリヒテラン王国が中心となり進めている事案がありましてね、その交渉のために、十数ヵ国の代表者が来られているのですよ」
国王が説明するが、それがどのような事案なのかは特に関係ないことだ。
問題は、各国の代表が集まったこの場に、リヒテラン王国国王が招いたセヴェリーニ=ローザランが居るということ。
セヴェリーニにその気がなくても、国王の知己と勘違いされてしまうだろう。
言動に気を付けて対応しないと政治的に巻き込まれてしまう可能性もある。
「ローザラン殿、こちらはエルガスティン王国の財務宰相です」
「初めまして、セヴェリーニ=ローザラン殿。お会いできて誠に光栄でございます。国王陛下とお知り合いとは驚きました。よろしければ、我が国にもお越しいただきたいものです。我が陛下も大変お喜びになられることでしょう」
リヒテラン王国とともに4強国になぞらえられる南方の大国エルガスティン王国。
国王の妹がエルガスティンの現国王に嫁いだということもあり、両国はおおむね良好な間柄だと聞いている。
「こちらこそ初めまして。そうですね、エルガスティン王国には何度か訪れているのですが、なかなか王都にお伺いする機会がなくて・・・・・・申し訳ございません」
困ったように微苦笑するセヴェリーニに、財務宰相は顔を赤くしてブンブンと勢いよく首を振った。
「いえ、こちらこそ!お気を遣わせるようなことを申し上げてしまいました。お詫び申し上げます」
「とんでもないです。今度エルガスティン王国を訪れた際には御挨拶にお伺いいたしますね」
「お・・・・・・おお!それはそれは!なんと嬉しいことでしょう!国に良い土産を持って帰られます!ありがとうございます!」
幾人もの政敵を追い払って大国の宰相にまでのし上ったであろう財務宰相でさえ、直視することすら憚れるセヴェリーニの美貌を前にして、声が上擦り、冷静さを失っていた。
次々と紹介される各国の宰相や大臣も、セヴェリーニが挨拶を返せば皆が皆、同じように赤くなって子供のように喜びをあらわにしている。
1歩離れた場所から見ていたフェレイドは、セヴェリーニの処世術のうまさに感心させられていた。
相手が大国の宰相であっても、そうでなくても、魔術師セヴェリーニ=ローザランにとってそれ以上でもそれ以下でもない。
だが、「是非とも我が国へ」という申し出に対して嫌な顔ひとつせず、セヴェリーニは「もちろんです」と等しい態度を返している。
己の容貌が与える影響も十分に考慮したうえで、極上の笑顔を添えて。
どうやらフェレイドが杞憂する必要はなかったようだ。
「最後になりますが、こちらは、オルセレイド王国の財務宰相です」
その国名を聞いた瞬間、気を緩ませていたフェレイドは目を剥いてびくりと身体を強張らせた。
(オルセレイド王国だって・・・・・・?)
「お初にお目にかかります、セヴェリーニ=ローザラン殿」
「こちらこそ、初めまして」
セヴェリーニの声に我に返ると、目尻に皺をたたえた壮年の男性が、恭しくセヴェリーニに挨拶をしているところだった。
「皆さまと同じく是非とも我が国に・・・・・・と申し上げたいところですが、それは叶わぬ願いでございますね。何とも残念でなりません」
かつてこの大陸を魔物の侵攻から救った大魔術師が、若き王とともに築き上げたオルセレイド王国。
「魔術王国」としてその名をしられるこの国は、魔術師を統括する魔術学院がある国でもある。
『魔術師は政に関わるべからず』という大魔術師の教えを忠実に守り続ける魔術学院だが、例外的な有事の際には魔術師の力を広く大陸の民のために使用することができる。
その魔術師の力を使うか否か、決定権を持つ一人がオルセレイド王国国王だと言われている。
そのため、公平な関係性を保つ必要があり、魔術学院とオルセレイド王国国王が公的にも私的にも関わることは許されていない。
過去、その力が使われた正式な記録は魔術学院にも残されていないが、飢饉や疫病、自然災害などにより多くの人命が失われた際、収束のために魔術師たちの力が使われたことは確かにあったらしい。
「ええ、私も同じ気持ちです。残念ですね」
指を口元にあてて首を傾げ、困ったように笑ったセヴェリーニに、周囲にいた他国の宰相たちも惚けた表情になり、ほう・・・・・とため息が広がっていく。
だが、今のフェレイドにはセヴェリーニのことを気にかけている余裕はなかった。
オルセレイド王国の財務宰相。
幸い、財務宰相が剣士のことなど気にしている様子はない。
問題は、宰相から少し離れて控えている2名の騎士の存在だ。
オルセレイド王国の騎士が身にまとうのは、目にも鮮やかな白い騎士服。
上着には銀色のボタンが輝き、オルセレイド王国の象徴である獅子の文様が浮かび上がっている。
30代後半くらいの騎士とともに、その隣で鋭い視線で周囲を見回している50代前半くらいの騎士。
紺色のマントを羽織ったその騎士の視線が、不意にフェレイドへと向けられた。
「っ・・・・・・・」
何かを見透かすようなその視線に慌てて顔をそらすが、フェレイドは内心で冷や汗をぬぐった。
自分の記憶で覚えている限り、どちらの騎士とも面識はない筈だが。
「ローザラン殿、どうぞ宴を楽しんでください。それと、今は街の宿に滞在されていると伺っております。ご不便もございますでしょう。しばらく城に滞在されてはいかがでしょうか」
「ありがとうございます、ジークヴァルト国王陛下。お申し出は大変有難いのですが、明日、人と会う約束がありますので・・・・・・大変申し訳ございません」
「おや、左様でございますか。それは誠に残念ですね。この都でお会いになる約束でしょうか?」
「ええ、昼頃ですが宿で会う約束です」
「それではいかがでしょう。明日、朝食を摂られたあと、馬で宿までお送りいたしますよ。以前のご滞在でお気に召していただいた部屋を此度も用意しておりますので、是非に」
あくまでも穏やかに、笑顔をたたえたまま両手を差しだし城への滞在を勧める国王に対し、同じくにこにこと笑顔で返していたセヴェリーニだったが、僅かばかり目を見開いた。
何か逡巡するように数回瞬きをした後、視線を上げてふわりと微笑んだ。
「ええ・・・・・・確かに、素敵な部屋でしたね」
「はい。限られた方に滞在いただく、我が城でも特別な部屋です。いかがですか?」
「私のために素敵な部屋を用意していただき、ありがとうございます。折角の機会ですから、陛下のご好意に甘えさせていただきます」
「おお!それはそれは!ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。フェレイドもいいですよね?・・・・・・フェレイド?」
くいっと袖を引かれ、フェレイドははっと我に返った。
「どうしたのですか?話、聞いてましたか?」
「あ、ああ・・・・・・すまない。王城に滞在させていただくという話だな」
「ええ。構いませんよね?」
頑なに帰ると言っていたセヴェリーニが考えを翻すということは、余程気に入りの部屋なのだろう。
もとより、断る理由はなかった。
「ああ。何なら、このまま宿に戻らずに・・・・・・」
「それは駄目です。明日はマルティン様とお会いする約束をしているのですから、昼には戻りますよ」
あわよくばマルティンとの約束を反古にしてくれないかと期待したのだが、どうやらそこは譲れないらしい。
「・・・・・・わかった」
「ありがとうございます。面前に庭が広がるとても素敵な部屋で、きっとフェレイドも気に入りますよ」
「え?いや、俺は宿に戻るよ」
慌てて軽く首を振ると、セヴェリーニの瞳が驚きに揺らいだ。
「何故ですか?フェレイドも・・・・・・」
「剣士殿の部屋も別に用意させていただいておりますので、ともに滞在されてはいかがですかな」
すかさず声をかけてきた国王の誘いは、必ずしも親切心だけではないだろうが、今のフェレイドにはありがたい助け船だった。
「いえ、フェレイドは私と」
「私ごときへのご配慮、誠にありがとうございます。では、ローザランもこのように申しておりますので、私も城に滞在させていただきます」
セヴェリーニの言葉を遮り、国王の申し出にすぐさま応えた。
国王と言葉を交わす許可は得ていないが、声をかけてきたのは国王からだし、この状況ならは許される範囲だろう。
「それはよかった。あとで侍従に部屋へ案内させよう」
「恐れ入ります」
セヴェリーニが不満げな表情でこちらを見上げていたが、セヴェリーニが何か言う前に、フェレイドは国王に謝意を込めて深々と頭を下げ、気づかないふりをしてほっと安堵した。
「どういうことですか」
案の定、セヴェリーニには射抜かれそうなほどの視線で睨まれることになってしまった。
「なぜ別々の部屋にするのですか?」
「仕方がないだろ。ここはリヒテラン王国の王城だ。いつもと同じとはいかないんだ」
宴の後、大広間から退出し、それぞれが部屋へと案内してもらうことになったのだが、不満をあらわにしたセヴェリーニにつかまってしまった。
侍従たちを待たせ、廊下の端へと寄ったフェレイドは、さりげなくセヴェリーニを彼らの視線から隠すように立つ。
仮面を外して素のままに膨れっ面をするセヴェリーニを見られないようにするためだ。
「そんなこと私には関係ありません」
「駄目だ、セヴェリーニ。今回は俺の言うことを聞いてくれ」
きつい口調でたしなめると、きゅっと唇を噛み締め、視線をそらしてしまった。
セヴェリーニは当然のように同室のつもりで、当然のように1つの寝台でフェレイドと一緒に眠るつもりだっただろう。
だが、ここはリヒテラン王国の王城。
魔術師と剣士が気軽に同室で、とはいかないのだ。
セヴェリーニが気にしなくともフェレイドは気にするし、例えセヴェリーニが天下の魔術師だとしても、世間の目は非常に厳しいものだ。
常識から外れたセヴェリーニだからこそ、はずれないようにフェレイドが軌道修正する必要がある。
「気に入りの部屋なんだろ?ゆっくり休むといい」
「それならフェレイドも一緒に」
「後で行くから。だが、何度も言うが、俺は用意してもらった別の部屋で寝るからな」
セヴェリーニはまだ不満げな様子だったが、フェレイドが頑として折れないとわかったのか、渋々ながらも「わかりました」と頷いた。
黄金の艶やかな髪をなだめるように軽く叩くと、上目遣いで見上げてきたセヴェリーニは、戸惑いの表情で目を伏せた。
「必ず来てくださいよ」
「わかったわかった」
「きっとですよ」
まだ諦めきれないのか、何度かこちらをチラチラと振り返りつつも、侍従や宮殿騎士に先導されて別の通路へと向かうセヴェリーニの姿を追い、角を曲がったのを見てフェレイドは肩で大きく息をつく。
なぜそうまでしてフェレイドと同じ部屋、同じ寝台で寝たがるのか、いまだにセヴェリーニの思考は理解できない。
フェレイドと会うまでは普通に一人で過ごしていただろうに。
待たせていた侍従に声をかけ、フェレイドに用意されたという部屋へと向かう。
リヒテラン王国ほどの大国になるとその王城は非常に広大な規模になり、来客用の棟もいくつも設けられている。
国勢力によりあてがわれる棟が異なり、まるまる1棟が1国のために使われることも珍しいことではない。
フェレイドが案内された棟は、その中でも、国勢力で言えば中位くらいの宰相や侍従、騎士に用意された客棟のようだった。
「剣士殿はこちらの部屋をお使いください」
フェレイドに用意された部屋は、一介の剣士用としては十分な広さ、南向きで、設備も整えられた部屋だった。
セヴェリーニ=ローザラン付の剣士に対する最大限のもてなしといったところだろうか。
フェレイドには勿体ないくらいの部屋だった。
「ところで、ここからローザランの部屋にはどのように行けばいいのだろうか」
「この回廊の突き当たりに詰所がございます。そちらにお声かけいただければ、魔術師殿の部屋にご案内させていただきます」
「わかった。ありがとう」
侍従の回答は理解できるものだった。
広大な城内をさすがに一人で歩く自信はなかったし、他国の者に城内を勝手に動かれても彼らは困るだろう。
侍従が去ったのを見て、フェレイドは深く息を吐き出し、肩を大きく上下させた。
不慣れな環境だからだろうか、どうやら無意識のうちに肩に力を入れて緊張をしていたようだ。
これならば、生死の境目で戦う戦場や魔物に対峙しているほうがよっぽど楽だ。
ひとまずは部屋で落ち着いてから、フェレイドを待っているだろうセヴェリーニの部屋へ向かうことにした。
「失礼、フェレイド殿」
部屋に入ろうとしたとき、緊張から解放された気の緩みからか、フェレイドはその気配に気づくのが一瞬遅れてしまった。
「お時間よろしいですかな、フェレイド殿。いや、フェレイド=ローザ=オーガスティン殿」
セヴェリーニは何度か来ていると言っていたが、勝手知ったる様子で堂々と城内を進んでいく。
一方のフェレイドはというと、4強国と謳われる国の王城の広大さと豪華さに少々気後れしていた。
確かに武官の貴族の生まれではあるが、社交界に出る年齢に達する前から早々に家出を繰り返していたため、このような場を経験したことがほとんどなかったからだ。
自分が場違いな存在のような気がして、何とも気まずくて落着けなかった。
「魔術師セヴェリーニ=ローザラン殿、ご来場でございます!」
絨毯が敷かれた長い廊下の先を進むと、侍従の朗々とした声が高らかに響き渡り、その先にあった大きな扉がぎいっと開かれた。
まぶしい光にますます内心は落ち着かなくなる。
だが、セヴェリーニは臆することなくその扉の中へと胸をそらして入っていく。
このようなことはセヴェリーニにとって大したことではなくて、むしろさっさと終わらせて宿に戻りたいと思っているのことだろう。
フェレイドは一瞬ためらいつつも、意を決してカツと大理石が敷き詰められた大広間へと踏み出した。
その途端、ざっと見渡しただけでも100近くは居るであろう紳士淑女の視線が、一斉にこちらへと向けられる。
競い合うように美しく着飾った貴族たちは高位者に対する礼の後、うっとりとした表情で誰よりも美しいセヴェリーニを追っていた。
セヴェリーニは白皙の美貌に優雅な微笑みを浮かべながら、右へ左へと貴族たちの挨拶に頷き返す。
国内から集まった有力貴族ばかりということもあり、さすがに一般市民のように、セヴェリーニを取り囲んで歓声をあげたり、雄叫びをあげたり、大騒ぎをする者はいないが、内心は今にも叫びたいくらい歓喜に満ち溢れていることだろう。
「これはこれは、麗しの魔術師殿」
広間に響く低めの声に視線を向けると、数人の官吏や騎士を従えた壮年の男性が、朗らかな笑みを浮かべて近づいてくる。
口ひげを生やし、肩下ほどの長さの白髪交じりの髪を後ろで束ね、濃い赤色のマントを羽織ったこの男性。
笑みをたたえてはいるが、醸し出す雰囲気は為政者としての迫力が感じられた。
この大広間の誰よりも最初に声をかけてきたこの男性が、リヒテラン王国のジークヴァルト国王だろう。
フェレイドはごくりと息をのんだ。
「お久しぶりでございます、セヴェリーニ=ローザラン殿。今宵はようこそおこしくださいました」
胸元に手を当てて頭を下げ、高位者に対してうやうやしく礼を執るリヒテラン国王の姿などなかなか見られるものではない。
「こちらこそ、ジークヴァルト国王陛下。素晴らしい宴の場にお招きいただきありがとうございます」
「とんでもない。誉れ高き魔術師殿を我が城にお招きできたこと、誠に喜ばしく思っております」
セヴェリーニの誰をも魅了する笑顔にも動じた様子を見せない国王は、肩を揺らして余裕げに笑った。
「それで、こちらが・・・・・・」
その瞳がゆっくりとフェレイドへと向けられ、心臓がドキッと跳ねた。
「セヴェリーニ=ローザラン殿と契約を結んだという剣士殿ですな」
セヴェリーニに対するのとは違い、どこか探るような鋭い眼差し。
大陸中にその名を轟かす天下の魔術師と並ぶに相応しい者なのかを見定めているようだ。
「はい。私付きの剣士、フェレイドと申します」
セヴェリーニに紹介されたフェレイドは、胸を手にあて、軽く膝を折って頭を下げた。
これは一国の国王に対する礼としては非礼にあたるものだ。
本来であれば、片膝を折って地に着け、許しがあるまで頭をあげることも、言葉を発することもできない。
それが王族に対する礼というものだ。
だが、フェレイドは魔術師セヴェリーニ=ローザラン付きの剣士。
4強国の国王でさえ頭を下げるセヴェリーニの剣士として、フェレイドもそれに等しい立場であることを示す必要があった。
「ほう、これはこれは・・・・・・なかなかの男前ですな。それに良い面構えをされている。貴方が剣士を付けられたと聞き少々半信半疑でしたが、ローザラン殿の剣士にふさわしい実力を持たれているということですかな」
「ええ、それはもちろん。私のほうから付いていただきたいとお願いしましたから」
さらりと言ってセヴェリーニはにっこりと笑った。
「ほう・・・・・・ローザラン殿がそこまでおっしゃるとは、剣士殿が羨ましい」
はっはっはっ、と笑う国王に、だが、フェレイドは何も言うこともできず、冷や汗をかきながら、ただただ笑顔を浮かべるだけだった。
「今宵、ローザラン殿をお招きできたこと、誠に喜ばしい限りです。せっかくの機会ですから、是非ともご紹介させていただきたい方々がいるのですが、よろしいですかな」
「ええ、私でよろしければ。一体どなたでしょう。フェレイド、楽しみですね」
「ああ・・・・・・」
フェレイドは一瞬顔を引きつらせるが、セヴェリーニは何も気づいていないふりをして小さく笑った。
側にいた官吏らしき男に国王が何か指示をすると、官吏はうやうやしく頭を下げ、大広間の奥で輪を作り、こちらを気にしつつも近づいて来ない人々に声をかけた。
彼らが明らかに他の貴族たちと違うのは、護衛の騎士が付いているということだ。
基本的には帯剣が許されない宴の場に、宮殿騎士以外の者が剣を携えているのは異例のこと。
リヒテラン王国騎士とは異なる騎士服を着た騎士が付いているということは、彼らが来賓として招かれた外国からの客なのだろう。
国王自らではなく官吏が呼びに行ったことから、彼らは王族ではなく、宰相や大臣位にある者だということが推測できる。
「我がリヒテラン王国が中心となり進めている事案がありましてね、その交渉のために、十数ヵ国の代表者が来られているのですよ」
国王が説明するが、それがどのような事案なのかは特に関係ないことだ。
問題は、各国の代表が集まったこの場に、リヒテラン王国国王が招いたセヴェリーニ=ローザランが居るということ。
セヴェリーニにその気がなくても、国王の知己と勘違いされてしまうだろう。
言動に気を付けて対応しないと政治的に巻き込まれてしまう可能性もある。
「ローザラン殿、こちらはエルガスティン王国の財務宰相です」
「初めまして、セヴェリーニ=ローザラン殿。お会いできて誠に光栄でございます。国王陛下とお知り合いとは驚きました。よろしければ、我が国にもお越しいただきたいものです。我が陛下も大変お喜びになられることでしょう」
リヒテラン王国とともに4強国になぞらえられる南方の大国エルガスティン王国。
国王の妹がエルガスティンの現国王に嫁いだということもあり、両国はおおむね良好な間柄だと聞いている。
「こちらこそ初めまして。そうですね、エルガスティン王国には何度か訪れているのですが、なかなか王都にお伺いする機会がなくて・・・・・・申し訳ございません」
困ったように微苦笑するセヴェリーニに、財務宰相は顔を赤くしてブンブンと勢いよく首を振った。
「いえ、こちらこそ!お気を遣わせるようなことを申し上げてしまいました。お詫び申し上げます」
「とんでもないです。今度エルガスティン王国を訪れた際には御挨拶にお伺いいたしますね」
「お・・・・・・おお!それはそれは!なんと嬉しいことでしょう!国に良い土産を持って帰られます!ありがとうございます!」
幾人もの政敵を追い払って大国の宰相にまでのし上ったであろう財務宰相でさえ、直視することすら憚れるセヴェリーニの美貌を前にして、声が上擦り、冷静さを失っていた。
次々と紹介される各国の宰相や大臣も、セヴェリーニが挨拶を返せば皆が皆、同じように赤くなって子供のように喜びをあらわにしている。
1歩離れた場所から見ていたフェレイドは、セヴェリーニの処世術のうまさに感心させられていた。
相手が大国の宰相であっても、そうでなくても、魔術師セヴェリーニ=ローザランにとってそれ以上でもそれ以下でもない。
だが、「是非とも我が国へ」という申し出に対して嫌な顔ひとつせず、セヴェリーニは「もちろんです」と等しい態度を返している。
己の容貌が与える影響も十分に考慮したうえで、極上の笑顔を添えて。
どうやらフェレイドが杞憂する必要はなかったようだ。
「最後になりますが、こちらは、オルセレイド王国の財務宰相です」
その国名を聞いた瞬間、気を緩ませていたフェレイドは目を剥いてびくりと身体を強張らせた。
(オルセレイド王国だって・・・・・・?)
「お初にお目にかかります、セヴェリーニ=ローザラン殿」
「こちらこそ、初めまして」
セヴェリーニの声に我に返ると、目尻に皺をたたえた壮年の男性が、恭しくセヴェリーニに挨拶をしているところだった。
「皆さまと同じく是非とも我が国に・・・・・・と申し上げたいところですが、それは叶わぬ願いでございますね。何とも残念でなりません」
かつてこの大陸を魔物の侵攻から救った大魔術師が、若き王とともに築き上げたオルセレイド王国。
「魔術王国」としてその名をしられるこの国は、魔術師を統括する魔術学院がある国でもある。
『魔術師は政に関わるべからず』という大魔術師の教えを忠実に守り続ける魔術学院だが、例外的な有事の際には魔術師の力を広く大陸の民のために使用することができる。
その魔術師の力を使うか否か、決定権を持つ一人がオルセレイド王国国王だと言われている。
そのため、公平な関係性を保つ必要があり、魔術学院とオルセレイド王国国王が公的にも私的にも関わることは許されていない。
過去、その力が使われた正式な記録は魔術学院にも残されていないが、飢饉や疫病、自然災害などにより多くの人命が失われた際、収束のために魔術師たちの力が使われたことは確かにあったらしい。
「ええ、私も同じ気持ちです。残念ですね」
指を口元にあてて首を傾げ、困ったように笑ったセヴェリーニに、周囲にいた他国の宰相たちも惚けた表情になり、ほう・・・・・とため息が広がっていく。
だが、今のフェレイドにはセヴェリーニのことを気にかけている余裕はなかった。
オルセレイド王国の財務宰相。
幸い、財務宰相が剣士のことなど気にしている様子はない。
問題は、宰相から少し離れて控えている2名の騎士の存在だ。
オルセレイド王国の騎士が身にまとうのは、目にも鮮やかな白い騎士服。
上着には銀色のボタンが輝き、オルセレイド王国の象徴である獅子の文様が浮かび上がっている。
30代後半くらいの騎士とともに、その隣で鋭い視線で周囲を見回している50代前半くらいの騎士。
紺色のマントを羽織ったその騎士の視線が、不意にフェレイドへと向けられた。
「っ・・・・・・・」
何かを見透かすようなその視線に慌てて顔をそらすが、フェレイドは内心で冷や汗をぬぐった。
自分の記憶で覚えている限り、どちらの騎士とも面識はない筈だが。
「ローザラン殿、どうぞ宴を楽しんでください。それと、今は街の宿に滞在されていると伺っております。ご不便もございますでしょう。しばらく城に滞在されてはいかがでしょうか」
「ありがとうございます、ジークヴァルト国王陛下。お申し出は大変有難いのですが、明日、人と会う約束がありますので・・・・・・大変申し訳ございません」
「おや、左様でございますか。それは誠に残念ですね。この都でお会いになる約束でしょうか?」
「ええ、昼頃ですが宿で会う約束です」
「それではいかがでしょう。明日、朝食を摂られたあと、馬で宿までお送りいたしますよ。以前のご滞在でお気に召していただいた部屋を此度も用意しておりますので、是非に」
あくまでも穏やかに、笑顔をたたえたまま両手を差しだし城への滞在を勧める国王に対し、同じくにこにこと笑顔で返していたセヴェリーニだったが、僅かばかり目を見開いた。
何か逡巡するように数回瞬きをした後、視線を上げてふわりと微笑んだ。
「ええ・・・・・・確かに、素敵な部屋でしたね」
「はい。限られた方に滞在いただく、我が城でも特別な部屋です。いかがですか?」
「私のために素敵な部屋を用意していただき、ありがとうございます。折角の機会ですから、陛下のご好意に甘えさせていただきます」
「おお!それはそれは!ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。フェレイドもいいですよね?・・・・・・フェレイド?」
くいっと袖を引かれ、フェレイドははっと我に返った。
「どうしたのですか?話、聞いてましたか?」
「あ、ああ・・・・・・すまない。王城に滞在させていただくという話だな」
「ええ。構いませんよね?」
頑なに帰ると言っていたセヴェリーニが考えを翻すということは、余程気に入りの部屋なのだろう。
もとより、断る理由はなかった。
「ああ。何なら、このまま宿に戻らずに・・・・・・」
「それは駄目です。明日はマルティン様とお会いする約束をしているのですから、昼には戻りますよ」
あわよくばマルティンとの約束を反古にしてくれないかと期待したのだが、どうやらそこは譲れないらしい。
「・・・・・・わかった」
「ありがとうございます。面前に庭が広がるとても素敵な部屋で、きっとフェレイドも気に入りますよ」
「え?いや、俺は宿に戻るよ」
慌てて軽く首を振ると、セヴェリーニの瞳が驚きに揺らいだ。
「何故ですか?フェレイドも・・・・・・」
「剣士殿の部屋も別に用意させていただいておりますので、ともに滞在されてはいかがですかな」
すかさず声をかけてきた国王の誘いは、必ずしも親切心だけではないだろうが、今のフェレイドにはありがたい助け船だった。
「いえ、フェレイドは私と」
「私ごときへのご配慮、誠にありがとうございます。では、ローザランもこのように申しておりますので、私も城に滞在させていただきます」
セヴェリーニの言葉を遮り、国王の申し出にすぐさま応えた。
国王と言葉を交わす許可は得ていないが、声をかけてきたのは国王からだし、この状況ならは許される範囲だろう。
「それはよかった。あとで侍従に部屋へ案内させよう」
「恐れ入ります」
セヴェリーニが不満げな表情でこちらを見上げていたが、セヴェリーニが何か言う前に、フェレイドは国王に謝意を込めて深々と頭を下げ、気づかないふりをしてほっと安堵した。
「どういうことですか」
案の定、セヴェリーニには射抜かれそうなほどの視線で睨まれることになってしまった。
「なぜ別々の部屋にするのですか?」
「仕方がないだろ。ここはリヒテラン王国の王城だ。いつもと同じとはいかないんだ」
宴の後、大広間から退出し、それぞれが部屋へと案内してもらうことになったのだが、不満をあらわにしたセヴェリーニにつかまってしまった。
侍従たちを待たせ、廊下の端へと寄ったフェレイドは、さりげなくセヴェリーニを彼らの視線から隠すように立つ。
仮面を外して素のままに膨れっ面をするセヴェリーニを見られないようにするためだ。
「そんなこと私には関係ありません」
「駄目だ、セヴェリーニ。今回は俺の言うことを聞いてくれ」
きつい口調でたしなめると、きゅっと唇を噛み締め、視線をそらしてしまった。
セヴェリーニは当然のように同室のつもりで、当然のように1つの寝台でフェレイドと一緒に眠るつもりだっただろう。
だが、ここはリヒテラン王国の王城。
魔術師と剣士が気軽に同室で、とはいかないのだ。
セヴェリーニが気にしなくともフェレイドは気にするし、例えセヴェリーニが天下の魔術師だとしても、世間の目は非常に厳しいものだ。
常識から外れたセヴェリーニだからこそ、はずれないようにフェレイドが軌道修正する必要がある。
「気に入りの部屋なんだろ?ゆっくり休むといい」
「それならフェレイドも一緒に」
「後で行くから。だが、何度も言うが、俺は用意してもらった別の部屋で寝るからな」
セヴェリーニはまだ不満げな様子だったが、フェレイドが頑として折れないとわかったのか、渋々ながらも「わかりました」と頷いた。
黄金の艶やかな髪をなだめるように軽く叩くと、上目遣いで見上げてきたセヴェリーニは、戸惑いの表情で目を伏せた。
「必ず来てくださいよ」
「わかったわかった」
「きっとですよ」
まだ諦めきれないのか、何度かこちらをチラチラと振り返りつつも、侍従や宮殿騎士に先導されて別の通路へと向かうセヴェリーニの姿を追い、角を曲がったのを見てフェレイドは肩で大きく息をつく。
なぜそうまでしてフェレイドと同じ部屋、同じ寝台で寝たがるのか、いまだにセヴェリーニの思考は理解できない。
フェレイドと会うまでは普通に一人で過ごしていただろうに。
待たせていた侍従に声をかけ、フェレイドに用意されたという部屋へと向かう。
リヒテラン王国ほどの大国になるとその王城は非常に広大な規模になり、来客用の棟もいくつも設けられている。
国勢力によりあてがわれる棟が異なり、まるまる1棟が1国のために使われることも珍しいことではない。
フェレイドが案内された棟は、その中でも、国勢力で言えば中位くらいの宰相や侍従、騎士に用意された客棟のようだった。
「剣士殿はこちらの部屋をお使いください」
フェレイドに用意された部屋は、一介の剣士用としては十分な広さ、南向きで、設備も整えられた部屋だった。
セヴェリーニ=ローザラン付の剣士に対する最大限のもてなしといったところだろうか。
フェレイドには勿体ないくらいの部屋だった。
「ところで、ここからローザランの部屋にはどのように行けばいいのだろうか」
「この回廊の突き当たりに詰所がございます。そちらにお声かけいただければ、魔術師殿の部屋にご案内させていただきます」
「わかった。ありがとう」
侍従の回答は理解できるものだった。
広大な城内をさすがに一人で歩く自信はなかったし、他国の者に城内を勝手に動かれても彼らは困るだろう。
侍従が去ったのを見て、フェレイドは深く息を吐き出し、肩を大きく上下させた。
不慣れな環境だからだろうか、どうやら無意識のうちに肩に力を入れて緊張をしていたようだ。
これならば、生死の境目で戦う戦場や魔物に対峙しているほうがよっぽど楽だ。
ひとまずは部屋で落ち着いてから、フェレイドを待っているだろうセヴェリーニの部屋へ向かうことにした。
「失礼、フェレイド殿」
部屋に入ろうとしたとき、緊張から解放された気の緩みからか、フェレイドはその気配に気づくのが一瞬遅れてしまった。
「お時間よろしいですかな、フェレイド殿。いや、フェレイド=ローザ=オーガスティン殿」